復職後のギャップ、部長降任、そして再挑戦──葛藤と迷いを力に変えた12年の歩み

2014年、社員わずか20名ほどのfreeeにリクルーターとして入社したyukiさん。“なんでも屋”として走り抜けた創業期から、急拡大する組織を支えた12年間──まるで転職したかのような変化の日々を歩んできました。
順調に見えるキャリアの裏では、理想を追いかけて背伸びしていた頃もあれば、渦の外に立ち尽くすような時期もあったというyukiさん。
今回は、yukiさんにfreeeで過ごした12年を振り返っていただきながら、自分らしいマネジメントにたどり着くまでの歩みと、これから描いていきたい組織の未来について伺いました。
yuki|栗林 由季
人事基盤本部 中途採用部 eng中途採用課長
2014年にfreeeへ入社。当時社員20名ほどの規模で、リクルーターとして採用を担いながら、総務や代表のサポートなど幅広い業務に従事。組織の急成長にあわせて、中途・新卒採用や採用広報の立ち上げを推進し、採用部長として採用基盤の整備に携わる。2020年に産休・育休を取得し、復職後はエンジニア採用を中心に担当。現在は同チームのマネージャーとして、採用戦略からメンバー育成まで幅広く担っている。
創業期から急拡大期へ、挑戦と模索の日々
ー 2014年にfreeeへ入社されたyukiさん。この12年間を振り返ってみて、いかがですか?
「気付けば12年経っていた」。この表現が一番しっくりきます。長いと言えば長いのですが、振り返るとあっという間に過ぎた12年でしたね。
この間、会社も自分もいくつものフェーズを経験してきました。特に上場するまでは、まるで毎年違う会社に転職しているような感覚で働いていました。社員数は1年で倍になることもあれば3倍になる年もあり、オフィスの景色も、チームの顔ぶれも、働き方も、驚くほど速いスピードで変わっていきました。

ー 変化がすさまじい日々だったんですね。入社以降どのようなキャリアを歩まれていますか?
2014年、社員20名ほどだったfreeeにリクルーターとして入社しました。 入社当初は「採用担当」という肩書きでしたが、実態は“なんでも屋”に近かったと思います。 HRの専門チームも役割分担もなく、目の前で起きる課題をその場で拾って解決する毎日でした。
総務のような業務から、社長のサポート、備品の調達まで、本当に何でもやっていましたね。 その中で、どうやって仲間を増やしていくかをゼロから考え、当時はまだ一般的ではなかったダイレクトリクルーティングやリファラル採用も積極的に取り入れていきました。
その後は、組織の急速な拡大にあわせて中途・新卒採用チームの立ち上げや採用広報の仕組みづくりに取り組みました。2020年には産休・育休を取得し、復職後はエンジニア採用を中心に担当。現在はマネジメント業務も担っています。
ー 採用を軸に、さまざまな経験を積まれているんですね。
そうですね。ただ、順風満帆だったわけではありません。採用チームの立ち上げや仕組みづくりに携わってきて、表面的にはキャリアを積み重ねてきたように見えるかもしれませんが、実際にはうまくいかないことも多くて。
特に2020年、出産と復職を経てからの数年間は、自分にとって大きな転機であり、正直かなりしんどい時期でもありました。
復職後に直面した、理想との大きなギャップ
ー 復職後について詳しく教えてください。
半年間の育休を経て復職する日は、胸が高鳴っていました。「またあの熱量の中に戻れる」と、本気で楽しみにしていたんです。
でも、現実は違いました。復職しても、心が追いつかない。それまで当たり前のように最上位だった仕事よりも、子どもが何よりも大事になっていたんです。頭では仕事を頑張りたいのに以前のように本気で向き合えず、そのギャップに戸惑い続ける日々が始まりました。
オフィスを見渡せば、変わらず新しい挑戦に夢中になっている仲間がいて、freeeの成長にワクワクして、未来を語り合っている姿がある。自分だけがその“渦”の中に入れていないように感じ、同じ場所にいるはずなのに、別の景色を見ているようでした。

ー 復職を楽しみにしていた中で、ご自身でもギャップを感じられたんですね。
はい。まさか自分がこうなるなんて想像もしていませんでした。気持ちが乗らないばかりか、「あれ、自分ってこんなに仕事できなかったっけ?」と自信を失っていくばかりで、負のスパイラルに陥っていたと思います。正直、2年近くはきつかったですね。
当時は部長という立場だったこともあり、気持ちが置き去りのままではチームを率いるのは難しいと感じました。結果として、2021年末に部長を降り、メンバーに戻る決断をしたんです。
ー その決断には、葛藤もあったのではないですか?